【師匠シリーズ】032 双子 2/4

師匠シリーズ
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6月26日は金曜日だった。その日の朝、僕は師匠の運転するボロ軽四で、北へ向かう旅路にあった。県北の笹川町に向かっているのだ。僕らの住むO市は、瀬戸内海に近い南側にあったから、県北の町までは結構な距離がある。

2 <6月26日> 双子を忌む村

6月26日は金曜日だった。その日の朝、僕は師匠の運転するボロ軽四で、北へ向かう旅路にあった。県北の笹川町に向かっているのだ。僕らの住むO市は、瀬戸内海に近い南側にあったから、県北の町までは結構な距離がある。
「晴れて良かったなぁ」
 窓から吹き込んでくる風を気持ち良さそうに顔に受けて、師匠がそう言った。
 そんな爽やかな朝に、ステレオからは稲川淳二の怪談が流れている。
「で、その庚申信仰について、僕も一応調べてきたんですけどね」
「ああ?」
 さっきからなかなか話を聞いてくれないので、僕は実力行使で淳二を黙らせた。
「あ、てめぇ」
「庚申って、十干・十二支の組み合わせ60通りのうち、庚(かのえ)・申(さる)のことですよね。年だったら60年ごと、日だったら60日ごとにやってきます。かのえのほうは、読んで字のごとく、『金の兄』のことで、さるのほうは、五行思想では酉と並んで、『金』の元素を持っている。だから、庚申は金の気が満ちた状態で、その庚申の日に生まれた子どもは金に執着して、泥棒になる、なんて迷信があったとか」
「そうそう。夏目漱石なんて、庚申の日に生まれたから、将来泥棒にならないように、はじめから金を与えられたんだよ。本名は夏目金之助ってんだ」
「し、知ってましたよ。で、中国では道教の思想で、三尸説(さんしせつ)ってのがあって、三尸っていう三匹の虫が人間の身体に住んでる、とされてるんですよね。この三尸が庚申の日の夜になると人間の身体から抜け出して、天帝に宿主の悪行を告げ口する。告げ口された人間は罰を受けて寿命を縮められる。だから、庚申の夜に三尸が抜け出さないように寝ずに過ごすんですよね。その文化が日本にも入ってきて、庚申待ちって言って、身内や近所の人と一緒にお互いが寝ないように監視を兼ねて、夜通し語り合ったり、飲み明かしたりする。昔はそういう集まり、『講』がたくさんあって、その庚申講が脈々と今にも続いていると。こういう感じですよね」
「脈々とは続いてないよ。県北のほうはもともと庚申信仰が盛んでな、私も何年か前に、一度庚申待ちに混ぜてもらったことがあるんだけど。夜、地区の集会所に、講を組んでいる地元民たちが十何人集まってな。本尊の青面金剛童子の掛け軸を拝む勤行が終わったら、さっそく直会(なおらい)。ようするに飲み会だ。それも夜中の12時前には解散。おうちに帰って、グースカ寝る。庚申待ちって名目で、2ヶ月に1回親睦会をやってるだけだ。みんなで集まって、さっきまで気分良く愚痴やら悪口やら言い合ってたんだ。三尸が抜け出しゃあ、自分の分だけじゃなくて、数人分まとめて告げ口されらあ! そんな感じだよ。ホントに60日ごとに精進料理食いながら夜を明かす講なんて、現代じゃあもうないだろ」
「じゃあ、これから行く岩倉村の『大ごもり』はなんなんでしょうね。庚申講がいくつも集まるってことは、20人、30人と集まるわけでしょう。そんなに大勢で夜を明かすなんて、大袈裟ですよね。それに、6月末ごろに日付が決まってるなら、庚申(かのえさる)とは関係がない。いくら時代が下って、儀式が簡略化されようが、庚申講を庚申の日にやらないなんて、おかしいですよね」
「ああ、それに祀るのが、イザナギにアマテラスだとよ。仏教系なら、ほぼ青面金剛一択。まれに神道系の講があっても、普通は猿田彦大神だ。もともと道教思想から入ってきたものを、無理やり神道にくっつけようとしたから、縁起もなにもあったもんじゃない。元は駄洒落だからな」
「駄洒落?」
「庚申は、かのえ・さる、だから猿の神様をあてたの!」
「それで猿田彦ですか」
 ちょっと笑ってしまった。本当だろうか。
「佐藤さんが言ってましたね。イザナギとアマテラスは、近しいものが、かくりよへ、つまりあの世へ行ったからこそ、うつしよを守る神なんだって」
「ああ」
「最後に、スサノオじゃないって言ってましたけど。その、かくりよへ行った近しいもののことを。アマテラスの弟ですよね。スサノオは」
「……」
 師匠は答えなかった。佐藤老人とのやりとりで、なにかに気づいたようだったが、まだどこか腑に落ちないような顔をしていた。
僕は思いついたことを言ってみた。
「思うんですけど。6月末って、昔の人たちにとっては、田植えも終わって雨も降り始めて、一息つくころじゃないですか。夏祭りってそのころにやるもんでしょう? 豊作祈願を兼ねて。だから、『大ごもり』も、そういう、地域のハレのお祭りの一種じゃないですかね。普段は地味にやっている庚申講を、その日はみんな集まって盛大に夜通しやるんです。三尸の虫封じが目的じゃなくて、打ち上げ的なノリで」
「そうかもなー」
 師匠は窓の外の、のどかな山の風景を見ながら言った。あまり気が乗ってない声だった。
 僕は今回の依頼は、案外簡単に解決するんじゃないかと、どこか楽観している部分があった。なにせ田舎の村だ。若い者はあまりいないだろう。探すのは里美さんの双子の兄だから、21歳の男だ。しらみつぶしに探したって、すぐに見つかりそうだ。そう思っていた。しかし、その一方で、どこか不安な気持が湧いていたのも、たしかだった。不安定な板の上に乗っているような、そんな心細さ。かごめかごめの歌が聞こえる気がする、という里美さん。そしてあの、応接室で押し黙ったままだった佐藤老人。2人の目に浮かんでいた、なにかを畏れる感情……。
 僕はそれを振り払おうと、軽い声で言った。
「今日から泊まる民宿は、どんなところでしょうね」
 なにしろ、2人旅なのだ。調査員とその助手。去年のクリスマスに行った、神主の幽霊が出るという温泉宿のことを思い出す。あの時は、なんだかんだで結局ロマンスはほとんどなかったけど、今回はどうだろうか。チャンスはあるんじゃないか。やばいな。アレ持って来てないな。買っておいたほうがいいかな。お・と・ま・り、だからな。
 ソワソワしてくる。
「言っとくけど、2部屋借りてるからな」
 師匠の容赦ない言葉が突き刺さる。完全に心読まれてるわ。なにこの人怖い。サトリ?
 それから僕らは、山間の道路を走り続け、少し開けたところにある笹川町の中心街にたどり着いた。とろとろと車を走らせていると、古いけれどどこか気品のある町並みが見えてくる。
「白壁の町だぁ」
 僕は窓の外に顔を突き出した。古い木造建築が道沿いに並んでいて、そのどれもが、白壁や格子窓を持っている。歩く人の姿はまばらだが、商店街は映画で見る明治・大正の古い日本の町並みのようだった。
「町役場に行くぞ」
 僕らは町なかにあった役場の建物に入った。まだ昼前だった。庁舎の案内図と睨めっこしてから、師匠は住民課というところで、岩倉地区の現在の人口がわからないか、と相談をした。
 対応した若い男性の担当職員は資料をめくって答えた。
「えーと。岩倉ですよね。……上岩倉(かみいわくら)が37戸、120人。下岩倉(しもいわくら)が26戸、73人。あわせて63戸193人ですね。去年度末の数字ですけど」
 193人か。依頼人が言っていたとおりだが、なんとなく僕のイメージよりも多かった。
「岩倉地区に分庁舎はありますか」
「ありませんねぇ」
「病院とか、分院は? もしくは診療所」
 師匠に矢継ぎ早に問いかけられ、若い職員は別のベテラン職員に助けを求めた。
「むかしは町営の診療所がありましたけど、今は隣の地区の診療所から往診に行くくらいですねぇ」
 年配のふくよかな女性職員が、そう答えた。詳しそうだったので訊いてみたが、岩倉の出身ではないという。
 なぜ岩倉のことをそんなに訊くのか、という視線を受けて、師匠は、「民俗学の研究をしている学生」を名乗った。
「うちの役場には、岩倉の出身はいなかったと思いますよ」
 礼を言って住民課をあとにした。その次は、教育委員会事務局というところに出向いた。そこで、地域文化に詳しいというベテラン職員を捕まえて、岩倉のかごめかごめの歌のテープを聞かせてみた。
 興味深そうに聴いていたが、はじめて聴いたと言う。他の職員も同様だった。
「え? 庚申さま? いまもやってるとこもあるみたいですね。まあ、地域コミュニティの維持のための機能ですよね。この辺じゃ見ないけど、もっと田舎に行けばやってるんじゃないかな。岩倉で? さあ、どうでしょうか……」
 そんな調子で、あまり収穫はなかった。
 最後に近くにあった町立の図書館で、地域の歴史の本を調べた。
 笹川町は、昭和30年4月に1町3村が合併してできた町だった。ただ、合併とは言っても、元からあった笹川町に、岩倉村とあと2つの村が吸収されてできたものだった。
 合併当時の岩倉村の人口は700人とある。今が193人ということだから、30数年の間にずいぶんと減ったものだ。
 おもな産業は林業。山間部のため平野は少なく、農業は稲作とニラ、そしてソバを少々やっているくらいだった。
「あるな。神社。岩倉神社」
 師匠が、郷土史の本の記事に載っている写真を指さした。場所は、岩倉でも北のほうに位置している。地図で見ると岩倉地区は、笹川町の北隣にある穴原町と接していて、その間には千メートル級の山がいくつかつらなっている。岩倉神社があるのは、ちょうどその山地が始まる山裾のあたりだった。岩倉は、北だけではなく、西と南も山に囲まれていて、こうして見ると、ずいぶんとへき地だなぁ、という感想を抱く。
「ま、事前の情報収集はこんなもんか。さて行くかね。岩倉へ」
 師匠が伸びをしながら言った。黒いキャップに、ホットパンツという格好だった。もう6月も終わりで、これからどんどん暑くなってくる時期だ。師匠の定番の夏仕様の格好だったが、山間部に行くには少し寒くないだろうか、と余計な心配をしてしまう。
 しかも平日の昼間から図書館にいる、じいさんばあさんたちのなかで、あきらかに浮いている格好だった。じいさんたちのときめく視線を浴びながら、師匠と僕は図書館をあとにした。
 駐車場の車に乗り込んだあと、師匠は地図を見せながら言った。
「岩倉へは、こっから東に行くけどな。このまま北西へ行ったら、廿日美(はつかび)村だ。さらにその北西は県境の新城村」
 地図の上に指さしながら説明する。
「この新城村はな。いつか話した、天狗の肉の伝説がある村だ」
 思い出した。師匠が幼いころに体験した話。変質者に、天狗の肉と称するものを食わされたという恐怖体験だ。あの肉は、どこかの神社に伝わっていたと言っていた気がするが、それがこの新城村にあったのか。驚いていると、師匠は続ける。
「で、実は隣の廿日美村にも、面白い伝説があるんだよ。『もどり沼』っていう妙な名前の沼でな。死んだ人が生き返って、沼から上がってくる、という言い伝えがあるんだ」
「生き返らせるために、死体を沈めるんですか」
 僕は気味の悪い話に、眉をしかめて訊ねた。すると師匠は首を振る。
「生きている別の人間を、沼に沈めるんだ」
 グロテスクだ。なんだその伝説は。唖然としている僕に、師匠は、「まあいずれ連れて行ってやるよ」と言った。
「それより、見てみろ。新城村の天狗伝説の神社がここだ。そして、廿日美村のもどり沼がここ。で、これから行く岩倉が、ここ」
 師匠は地図の上に、鉛筆でマルをつけた。そして、その3つのマルを線で繋ぐ。
「あ」
 線は直線になっていた。岩倉から、北西へ向かって左肩上がりに、まっすぐ線が延びている。
「な、面白いだろ。こいつは、パワースポットとパワースポットを繋ぐ神秘の直線。『レイライン』だぜ」
 たしかに、レイラインに見える。僕は驚いた。
「レイラインって、もともとイギリスで生まれた言葉で、直接関わりのない古い遺跡群が、まるで意図的に配置されたかのように、地図で直線上に並ぶ現象のことだ。イギリスのセント・マイケルズ・レイラインが有名だな。日本でも、茨城の鹿島神宮から、明治神宮、富士山、伊勢神宮、ソロモン王の財宝伝説がある徳島の剣山(つるぎさん)に、宮崎の高千穂神社と並んでいるレイラインがある。わくわくするだろ」
「たしかに面白いですけど、岩倉のマルの位置が意図的じゃないですか。今は一地区でも、元は村で、単に岩倉って言っても、結構広いのに。わざわざ天狗と戻り沼を結ぶ直線の、延長線上を選んでマルをつけてますよ」
 僕は、岩倉村の北のほうにつけられたマルを指さしながら抗議した。すると師匠は、チッチッチッ、と舌を鳴らす。
「チェリー・ピッキングだってか? さっき図書館で見たろ。岩倉神社の位置を。それがここなんだ」
 あっ、と思った。
「いいか、岩倉って地名は、日本中にある。その語源は、ほとんどが、岩の座と書く、『磐座(いわくら)信仰』から来ている。磐座ってのは、ようするに巨石だ。古代の日本人は、巨石に神秘的な力が宿っていると考えていた。世界中で見られる、巨石信仰だな。その巨石は、神の住まう場所なんだ。その神の座である、磐座を崇め祀るための社に、なんて名前をつける? 磐座神社(いわくらじんじゃ)に決まってるだろ。たぶん、古来から信仰の対象となってきた巨石があって、それが磐座と呼ばれ、磐の座と書く磐座神社(いわくらじんじゃ)ができて、いつしか今の『岩倉神社』という漢字を当てられるようになったんだと思うよ。そしてそれが、行政単位の名前になり、岩倉村になったんだ」
 師匠の推理に、僕は感心していた。ただの想像にしても、理にかなっている。案外そのとおりなのかもしれない。
「おそらく岩倉神社がこの村のパワースポットとしての中心だ。天狗神社、戻り沼、岩倉神社。この3つがレイラインを形成しているのは、面白い。ぞくぞくするな」
 師匠は楽しそうだ。僕も嬉しくなってしまう。こんな話は大学の研究室の連中にはできない。こんな不健全で不真面目な面白さを共有できるのは、師匠だけだ。
 天狗神社や、戻り沼に興味を抱きつつも、岩倉へと向かって車は発進した。師匠はこの依頼が早く片付いたら、帰りに寄ろうと言ってくれた。
「じゃあ、いきましょう! 岩倉村へ」
「お、やる気が出たみたいだな。よし、BGMだ」
 新たな楽しみを秘めつつ、ボロ軽四は走る。稲川淳二の「やだな~、怖いな~」という声に包まれながら。

 しばらく人里のない山道を東へ東へ走り続けていると、道がふたまたになっている場所に出た。東へ向かう道と、南へ向かう道だった。
「東だな。この先に岩倉村がある」
 そう言って左にハンドルを切った師匠だったが、少し進むとアクセルを緩めた。
「道祖神だ」
 左の道ぶちに、大きな石が立っていた。道路わきに車を止め、降りて近くに行ってみると、がっしりとした台石の上に、1メートル以上ありそうな石碑が鎮座している。
 石には、向かい合う2人の像が彫られていて、文字の類はなかった。かなり古い石碑のようだ。苔むして、ところどころ欠けてしまっている。
「ふうん。双体道祖神だな」
 師匠は像の片方を指でなぞりながら言った。
「双体道祖神は、6地蔵なんかで使われる地蔵の2体彫りと、区別がつきにくいやつもあるんだけど。これははっきりと男女の2体になっているから、道祖神だ」
 なるほど。やってきた方向から奥、向かって右側にある像のほうが、頭に冠のようなものをつけている。男性ということなのだろう。左側の像は長い髪を垂らしている。どちらも地蔵のようにディフォルメされてはいるが、男女を表しているのはあきらかだった。
「このあたりが、村の境だったんでしょうね」
 僕は来た道と、行く道を見渡す。山が深く、見通しはよくない。道路も舗装はされているが、ボコボコしていて、あまり整備ができていない感じだ。
 師匠は楽しそうに、道祖神のまわりをぐるぐる回りはじめた。
「知ってると思うけど、道祖神ってのは、境の神だ。集落にとっては、サトとサトのソトを分ける境界を守る、重要な神だな。古くは、記紀に出てくる道反之大神(ちかえしのおおかみ)とか、塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおおかみ)と呼ばれる神に由来している。黄泉の国の妻イザナミに会いに行ったイザナギが、腐った妻の姿を見てしまって逃げ帰るときに、桃の実を投げたり川を作ったりして、追いかけてくる妻を遮ろうとする。最後に黄泉比良坂(よもつひらさか)に、巨大な石を据えて、道を塞いだんだ。その石に神名が与えられ、生者の国と死者の国とを分かつ、境界の神が誕生した。それ以来、人が住まうサトと、異界であるソトの世界を分かつ道に、神が置かれた。遮り、塞ぐ神、『サヘノカミ』だな。道祖神ってのはわりと新しい言葉でな。元々、サヘノカミっていう音に道祖って文字を当てていて、それに神をくっつけて、道・祖・神という漢字三文字になり、それが音読みされて、ドウソジンになったって言われている。道祖神は道行く者を守る神であると同時に、サトへ、ソトの世界の悪霊や禍(わざわい)を招き寄せないために追い払う神でもある」
「師匠なんて、追い払われそうですけど」
 そんな軽口を叩いてみたら、「たしかにそうだな」と感心した様子で顎に指を当てている。
「道祖神の石碑には色々な形態があって、ただの石もあれば、男性器や女性器の形をしたものある。一番オーソドックスなのは、そのまんま『道祖神』って文字を書いてる石碑かな。双体道祖神も結構多い。男女2人の像が彫られていて、夫婦を表しているんだ。わざわいを遮る神としての役割よりも、縁結びとか子孫繁栄とかの、もっと庶民受けのする神の性質の方を強く持ってるんだな。道祖神の本場、長野県ではこの双体道祖神が多いんだけど、ちょっと面白くてな。そこに彫られている男女は、夫婦は夫婦なんだけど、兄・妹の兄妹とされているんだ」
「え」
「つまり近親である、兄妹婚の像なんだな。この兄妹相姦を道祖神祭祀起源説に持つ伝承は、長野県などの本州中央部と、中国地方中央部に多い。つまり、このあたりもその影響下にあるんだ。これがそうかは、わからないけど」
 ここを見てみろ、と師匠は向かい合う男女の像の中間を指差した。
「隙間がある。普通、双体道祖神は、仲睦まじくよりそっている。手をとりあったり、頬をくっつけあったり。チューしてるようなやつもある。でも、この岩倉の双体道祖神は、なんだか変だ。表情も微笑んでいない。どこかよそよそしい、無表情だ。この隙間をどう解釈するべきか」
 師匠はううむ、と唸っている。
 僕は、妙な符合を感じて戸惑っていた。この道の先にある岩倉村は、双子を忌む村だ。僕らの依頼人である羽根川里美は、双子の兄を探して欲しいと言った。村の外に捨てられた妹と、村に残った兄。向かい合う双体道祖神の間にある断絶ともとれる隙間……。
そういえば、右側にある男の像の先に、村がある。女の像の左側は、村の外側だ。ウチとソトの境界で、分かたれた2人。これは、どういう一致なのだろう。
「女の像のほうが、妙に足の先が大きいな」
 道祖神を観察していた師匠がボソリと言った。
 言われて見ると、たしかに女の像は、服の裾から覗いている足元が大きく彫られている。これもなにか意味があるのだろうか。
「ま、とりあえず、日が暮れる前に村に入らないとな」
 かがみこんでいた師匠が膝をポンと打って立ち上がった。僕も車の助手席に乗り込む。
 しばらく山道をくねくねと走っていると、道路の右手の谷側に川が現われた。小さな川だがそのまま村の方へ続いているようだった。その川に先導されて、車は走る。
「あ、ついたぞ」
 ようやく視界が開けた。山のなかにぽっかりと開いた、のどかな村の風景が飛び込んでくる。道沿いに電線が延びていて、それが道のそばにあるいくつかの家やその奥へと、枝葉を生やしていてる。
 手前に田んぼが広がっていて、青々とした稲が育っていた。
その横に、また石碑があった。
「道祖神だな。さっきのと同じだ。離れた双体道祖神」
 師匠は車をトロトロと走らせながら、観察した。さっきのものより石が少し小ぶりだったが、たしかに同じ形をしている。
「ええと、民宿は村に入ったらまっすぐですね」
 僕は、コピーしてきた大手地図会社の住宅地図を見ながら言った。
『たばこ』という看板のある家屋を目指して進み、明らかに寝ている店番のおばあさんの目の前を通り過ぎた。
 民宿『やまと屋』はそのすぐ隣にあった。
 出迎えてくれた女将は、滝野昭子という名前で、「しょうは昭和の昭ですよ。昭和生まれだから」と名乗った。
還暦まではまだひい、ふうあると言って笑っていた。永遠の○○歳というやつで、ずっとそう言っている可能性もあったが、大正の『正子』ではなく、昭和生まれの昭子ということなら、だいたいそんな歳なのだろう。
 日焼けして笑い皺がくっきり出ている人で、いかにも人当たりのよさそうな印象だった。
 里美さんが兄を探しに来たときに、村の人はとりつくしまがなかったと言っていたので、相当排他的な雰囲気を覚悟していたが、とりあえずファーストコンタクトとしては、すこぶる穏当だった。
「こっちの部屋と、そっちの部屋でいいかいね」
 やまと屋は民宿と言っても、ほとんど民家のような外観で、小さな看板が出てなかったらわからないような建物だった。僕と師匠にあてがわれたのは、2階のふた部屋だった。廊下を隔てて向かい合っている。どちらも4畳半ほどの畳敷きの殺風景な部屋で、足の低いテーブルが真んなかにあった。1階には、家族客用のもう少し大きい部屋が1つあるそうだ。
 とりあえず僕らは右手側の部屋に入り、腰を下ろす。車とはいえ、ずっと山道で尻が痛くなっていた。
テーブルの上のポットにはお湯が用意されていて、女将が急須でお茶をいれてくれた。
「お客さん、なんにしに来なすったの?」
 ふいにそう訊かれ、ドキッとした。ごく普通の会話なのだが、先入観のせいで思わず答えに窮する。
「大学の研究室で、庚申塔とか、道祖神とかの石碑を調べている学生なんですよ。県北には結構古いものが残っているので、フィールドワークで順に回っているんです」
 師匠がスラスラと答えた。
「さっそくこの集落の入り口にもありましたね。しかも珍しい形でした。いやあ、来てよかった」
「あら、そうですか。それはようございましたね。へえ、学生さん」
「ほかにもありますか」
「ええ、道祖神さんやったら、上岩倉の奥のほうにもありますし、南のほうへ行ったら、道端にどっさりありますねえ。庚申様でしたら、集会所のはたに大きなのがありますよ」
 なぜ来たのか、という質問に他意はなかったのか、女将はにこにこしている。
「あ、宿帳書いてくれますか」
と言って、相当古そうな帳面を出してきた。僕らの前に来た客が、3週間も前だ。遡っていっても、数週間に1回くらいのペースで、パラパラとしか客は来ていなかった。これでやっていけるのか、というよりも、やっていけるわけがないので、民宿は副業なのだろう。感覚的には、紹介されて農村の民家に泊まるイメージだ。そう言えば、やまと屋も入り口に農具が立てかけられていた。
「お部屋ふたつで良かったんですかいね?」
「はい。こいつは研究室の後輩ですけど、どうにもエロいんで」
「ちょ、ちょっとなに言ってるんですか」
 女2人で笑っている。僕は恥ずかしくて、自分の名前を走り書きした。もちろん小川調査事務所で使っている、偽名のほうだ。住所は小川調査事務所の住所にしておいた。
「この岩倉地区って、北の上岩倉(かみいわくら)と南の下岩倉(しもいわくら)に分かれてるんですね。ちょうど川で2つに分かれてるんですか」
 師匠がそう訊ねると、女将は、「ええ。中川(なかがわ)いう川ですがね」と言った。
「こっちが上岩倉ですよね。南の下岩倉にも民宿とかお店があるんですか」
 女将はそう訊かれ、「ないない」と笑って手を振った。
「元々、村役場がこっちにあったんですけどね。今はなくなって、森林組合の建物になってますが。昔の、人が多かった時分から、上岩倉が村の中心なんですよ。林業が花盛りだったころは、買い付けに来る人がよくうちにも泊まっていったらしいですけど」
「らしい?」
「ああ、ええ、私はよそから嫁に来たもので。……もう、17,8年になりますか」
 このやまと屋は、夫の滝野志郎が親からついだもので、お互い40歳を過ぎたところで、伴侶に死に別れ、それぞれに子どもを連れて再婚したのだそうだ。
 その子どもたちも、みんな県外に就職してしまって、家によりつかない、と言っていた。
「なんにもないところですけど、私にはそれがええんです」
 女将はころころと笑った。
 僕はなんだか、拍子抜けしてしまった。女将のウェルカムな雰囲気のおかげで、排他的なイメージが和らいだところだったのに、その女将自身、よそもの組だったわけだ。
「上岩倉が中心だっていうのは、やっぱり岩倉神社があるからですかね」
 師匠が訊ねる。
「ああ、いわくらさんね。本当に立派な神社ですよ。ぜひご覧になっていってください」
 僕はほのかに酸味のあるお茶を飲みながら訊いてみた。
「地元の人は、いわくらさん、と呼ばれるんですね。やっぱり、大きな石が祀られているんですか?」
「石、ですか? さあ」
 女将は怪訝な顔で首を振った。
 あれ? 師匠の推理は外れたのだろうか。岩倉という名前は、巨石信仰からきていると、自信満々に言っていたのに。
「御神体がそうなんでしょうかね。私は詳しくないですが。宮司さんにお訊きなさったらどうでしょう。とっても良いかたよ」
「そうしてみます」
 師匠はそう答えたが、解せない表情をしていた。たしかに変だ。御神体として社に隠されるていどの大きさの石が、はたして信仰の対象になるのだろうか。もしかして、形が珍しいとか。
 そう考えてみたが、頭に浮かぶのは男性器の形の石ばかりだった。
「あの、つかぬことを訊きますが」
「はいはい」
「民俗学の教授から聞いたんですけど、この岩倉で変わったかごめかごめの歌があるって。こんな歌ですけど」
 師匠はそう言って、僕をつっついた。また僕が歌うのかよ!
 しかたなく、もう暗記してしまった、テープの歌を披露する。
 女将は首を傾げながら、「聞いたことないですねぇ」と言った。
「もう子どもが、おらんなってますからねぇ。私がここへ来たときには、小学校があったんですけどね。この先の川のはたに。でももう廃校になってしもうて、今いる子はスクールバスで30キロ先の、岩倉の外の小学校まで行ってます。中学生も同じです。その子らも、小学生と中学生合わせても、もう3、4人しかいませんからねぇ」
 そんなに過疎が進んでいるのか。子どもが育てにくい環境だから、若い人が集落の外に出てしまう。年寄りばかり残っていても、人口は増えない。減っていく一方なのだ。
「さっきの歌で、『かたわれどき』という歌詞がありましたが、この言葉をご存じないですか」
 師匠が、何気ない調子でそう訊いた。それを聞いた僕は緊張した。この依頼の、肝の部分に通じる問いだったからだ。
「はあ。地元の人の言う、かたわれどきでしたら、夜の明けるころのことですね」
「やっぱり。その語源ってご存知ですか」
「さあ……。考えたこともなかったですねえ」
 女将の答え方に、はぐらかそうとしているような、おかしなところはなかった。
「などって、という言葉はどうですか」
「などって、ですか。聞いたことあるような気もしますけど。方言やったら、地元のお年寄りに聞いたらいいと思いますよ。お隣のタバコ屋のトモさんにでも」
「なるほど、ありがとうございます」
 師匠はそう言って、少し考えているそぶりを見せた。女将は地元の生まれではないので、あまりこの岩倉の伝統について詳しくないようだ。双子を忌む風習についても、知らないかも知れない。しかし、だからこそ訊ねやすいとも言える。
「もう1つ。この岩倉では、双子についてなにか伝わってはいませんか」
やっぱり、師匠ははっきりと訊いた。僕は緊張して、思わず自分の膝を強く掴んだ。
「ふたご、ですか」
 女将は首を横に振った。
「わかりません」
 そう言って、申し訳なさそうな顔をした。
 見逃さなかった。僕は、その女将の表情に、なにかを隠したような痕跡を見た。知っている。女将は、双子、という言葉になにか心当たりがあるのだ。
「お電話で伺っていたとおり、今日から2泊でよろしいですか。たいしたものはお出しできませんが、お夕食は6時から用意させてもらいます」
 急に女将は慌しくそう言うと、立ち上がった。
「お外に出るときは、お声かけてください」
 ごゆっくりと言って部屋を出て、階段を下りていく。僕と師匠は顔を見合わせた。
「反応アリ」
「そうですね」
「女将が地元出身じゃないのは本当だな。訛りが県北のものと違う。それでも、双子を忌む伝承について、聞きかじっているのかも知れない」
「17、8年前に嫁に来たって言ってましたね。里美さんがいま21歳ということは、生まれてすぐ戸籍をどうにかして、里子に出されたのが21年前。女将がこの岩倉にやってくるより、3年から4年くらい前の出来事ということですね」
「とりあえず女将はもう突っつかないほうがいいな。突っつくなら、羽根川さんの双子の兄のいどころを知っていそうな人をピンポイントでいかないと」
「田舎の情報網ハンパないですからね」
 僕らの、庚申塔などを研究しているフィールドワーク中の学生だという肩書きが、いつまで通用するのかわからなかった。
 岩倉の人々が隠していることを調べていることがわかってしまったら、相当やりづらくなるだろう。
「で、どうするんですか。そのピンポイントの心当たりを見つけるのは」
「そうだな。ま、とりあえず佐藤のじいさんが双子伝承について聞かされたっていう、岩倉神社の宮司は第一候補だな」
「でもあれ、何十年も前でしょう」
「代替わりしてるだろうけど、まだ宮司がいるのは、さっき女将が言ってたからな。良いかたよ、ってな」
 師匠は、テーブルに置いてあった、お茶請けの甘い干し梅を口に放り込む。
「ま、とりあえず羽根川さんの父親の本籍地を当たってみよう」
 早く片付けて帰ろうぜ。
 あぐらをかきながら、師匠は言った。

「ちょっと出てきます」
 そう言ってやまと屋を出たのは、午後の4時過ぎだった。まだまだ日は高いが、夕食の6時まで2時間もない。
 やまと屋の敷地にある駐車場にとめていた軽四に乗ってすぐ、師匠が「しまった」と言った。
「大ごもりについて訊くの忘れてた」
 僕も忘れていた。今もやっているのか知りたかったのに。今日は6月26日。昔から続く大ごもりの習慣が今も変わらずに続いているのなら、6月28日か6月29日のどちらかにあるはずなのだ。わざわざそこに合わせて日程を組んだというのに。さっき、もう突っつかないと決めた女将に訊くのはしんどい。
「まあいいや。だれかに訊こう」
「大丈夫ですかね」
「大丈夫だろう。庚申塔を調べてる学生なんだから、大ごもりっていう庚申講があるんですかって、無邪気に訊きゃあいいんだよ」
 そう言って師匠は地図を取り出した。
「地図では、と。このあたりだな。篠田って字(あざ)は」
 空白の多い住宅地図の道を表す細い線をたどって行くと、上岩倉の北東のほうに『篠田』という文字が見える。里美さんに教えてもらった、父親の本籍地は、『字篠田十一番一』という地番だった。車で行けそうなので、そこまで行ってみることにする。
 走り出すと、すぐにまた森深い山道に入った。民宿のあるあたりは、見通しがいい開けた場所だったが、さすがに山間の村だけある。
「しっかし、家がねぇな」
 師匠はハンドルを切りながら、ボソリと言う。窓の外を流れる景色は、緑ばかりだ。
 ところどころに古びた小屋のような建物や、朽ち果てた家屋が見えたが、それらが林業が盛んだったころの痕跡ということだろうか。
 最近ここを訪ねたという里美さんは、家が残っていなかったと言った。両親を亡くし、親類もいなかったので、父親は岩倉を出たのだと。
「このあたりなんだがな」
 師匠はアクセルを緩め、ゆっくりと軽四を走らせた。地図では、篠田七番という表示が、『山本』という家についている。その家は、道の山手側、つまり進行方向の右手側に見えてくるはずなのだが、なかなか姿を現さなかった。
 前に目を凝らしていると、ようやく家らしきものが見えてきた。
「あれは?」
 木々のなかに埋もれるように、苔むしてボロボロの建物があった。屋根が半分落ちている。明らかに人の気配はない。近づいてみたが、表札らしいものはなかった。
 そのすぐ左隣に、似たような建物があった。こちらはまだましだったが、板壁が剥がれ落ちていて、やはり人が住んでいるようには見えなかった。
「藤崎」
 師匠はかろうじて形を留めていたい表札を読んだ。地図では、藤崎という家は山本という家の少し先にあり、篠田十二番となっている。
「あれ。ということは」
 僕らは右隣の建物を見た。手前側の隣なのだから、こっちが篠田十一番ではないだろうか。地図にはないが、これが、羽根川里美の父親の本籍になっている家のはずだ。
「隣近所に聞き込みをしようにも、これじゃあな」
数キロ圏内に、この『藤崎』と『山本』しか、家がみあたらない地図を眺めて、師匠はため息をついた。一応、羽根川家跡を探索してみたが、屋根や壁がかなり崩れていて、倒壊していないのが不思議な有様だった。雨ざらしのせいで、雑草が生え放題。家具なども見当たらず、当時の生活の様子をうかがうこともできなかった。
 地図の先の道は途切れている。引き返すしかなかった。
「やっぱり手がかりなしですね」
「まあ、人がいるところで訊いてみるしかないだろうな」
 来た道を戻り、また山が開けた上岩倉の中心部へたどり着いた。
「あれが元小学校か」
 岩倉集落の中心部を絶つように東西に流れている、中川という緩やかな川がある。見通しの良いその川沿いに、木造の建物があった。平屋建てだが、民家よりもふた回りは大きい。横には雑草が生い茂った、校庭らしき敷地もあった。先ほどの廃屋とは異なり、屋根も壁も元の形を保っている。窓ガラスも嵌っていて、どうやらまだ使われているような様子だった。
「廃校になったあと、集会所として使ってるのかな」
 元小学校の前に車を止め、外に出ると、『閉校の碑』という小さな石碑があった。
「おい、これ見てみろよ」
 師匠は、その閉校の碑ではなく、そのそばにあった別の石碑を指さした。それは、閉校の碑よりも大きく、台座と合わせて2メートルはありそうな縦長の石碑だった。上部は、四角ではなく、まるで剣のように尖り、その下には6本の腕を持つ、夜叉のような像が彫られていた。
「庚申塔だ」
「デカいですね」
「立派なもんだ。青面金剛だな」
 かなり古いもののようで、顔のあたりは石が欠けてしまっているが、冠があり、一対の腕は胸の前で合掌し、残りの二対4本の腕は、剣と錫杖、矢と輪のようなものをそれぞれ持っていた。あきらかに地蔵ではない。そして足元には、なにか四つんばいになった動物のようなものが描かれている。
「踏みつけられているのは邪鬼だ。顔は欠けてしまっているけど、青面金剛は額に第三の目を持ち、憤怒の表情をして、悪鬼を滅ぼす恐ろしい神だ。庚申の日の夜には、人の悪行を天帝に告げ口しにいく三尸の虫を、封じる神でもある」
「これは猿ですか」
 踏みつけられた邪鬼の下には台のような線が描かれ、さらにその下には、3匹の猿が屈みこんでいる。
「三猿だよ。見ざる、言わざる、聞かざるのトリオだ。青面金剛とセットで描かれることが多い。これも三尸の虫封じに関わっている。三尸の虫に対して、人の悪行を『見ざる、言わざる、聞かざる』でいてくれ、という願いを表している。この三猿だけが彫られた庚申塔も結構多い」
 師匠はそう説明したあと、うん? と怪訝な顔をした。
「なんか変だな」
 そう言って、猿の像に顔を近づけている。どこが変なのだろう。猿はそれぞれ、左から目、口、耳を押さえている。よく見る構図だ。
「どこが変なんですか」
「左の猿だ。見ざるのはずなんだが、押さえている位置をよく見ろ」
 押さえている位置? 左の猿は両手で目を覆い隠している。
「見ざるでしょ。これで」
「いや、普通の見ざるは、こうだ」
 師匠はそう言って、左手で左目を、右手で右目を覆った。
 あ、そうか。僕はようやく気づく。この像の猿は、両方の手のひらをクロスするようにして、眉間の中央を覆っている。目を隠していることに違いはないが、たしかにちょっと構図が異なっている。
「あまり見たことがないな。私は初めてかもしれない。このタイプは。これじゃ、言わざると、絵面が被るだろ」
 言わざるが顔の下側で両手をクロスしているのに対し、見ざるは上側で両手をクロスしている格好だ。被っているといえば被っている。しかし、僕には大した問題には思えなかった。
「庚申塔がここにあるってことは、この小学校の校舎でも庚申講をやっているんでしょうか」
 話題を変えると、師匠は「どうだろうな」と言った。
「小学校をやっていたころはさすがに、自治体の建物だから地元住民が夜集まって庚申講をする、ってのは無理だろう。庚申塔があったのは、この建物が出来る前に、庚申講にまつわる場所だったからかも知れないな。今は集会所になってるっぽいから、ひょっとしてやってるかも」
「大ごもりって、講がいくつも集まって1ヵ所でやるって言ってましたね。佐藤さんが。この小学校の校舎なんて、大きくてうってつけじゃないですか」
「そうだなぁ」
 師匠は校舎の玄関らしき扉に手をかけた。開けようとしたが、びくともしなかった。鍵がかかっているようだ。当たり前か。
「あ」
 そんな僕らのやりとりを見ている視線に気がついた。同じ川沿いで、小学校の敷地から少し離れた場所に家があり、その垣根の上から覗き込むようにしてこちらを見ている人がいたのだ。
 そっちを見た瞬間、その人も気づいたのか、すぐに引っ込んでしまった。一瞬だったのではっきりとはわからなかったが、お年寄りのように見えた。
「見られてたな」
「泥棒じゃないかって通報されやしませんかね」
「まあ大丈夫だろ。しかし、人に全然出くわさないし、いても歓迎されない雰囲気だな、これは」
 師匠はあごを撫でた。
 小学校の敷地を出て、また車に乗り込む。
「橋があるな。向こうが南だから、下岩倉のほうだな」
 すぐ近くに川にかかる橋があった。あまり大きくはない。車が2台すれ違うのはしんどそうだ。もっとも、川幅も狭く、橋は短いので、譲り合って待てば、すれ違いは必要なさそうだ。
 橋のたもとに、双体道祖神があった。比較的新しいようだが、村の入り口にあったものと同じ構図だった。
「川も境だからな」と師匠が言った。
対向車も来ていないので、そのまま車で渡った。対岸の下岩倉は、川沿いに畑と田んぼが並んでいる。奥には山のなかにいくつか家が見える。上岩倉ほどの平らな場所は少なそうだ。山のほうに走っていると、小高い場所に大きな建物が見えた。木造の平屋建てで、先ほどの小学校ほどではないが、駐車場らしき場所もあり、敷地はなかなかに広い。
 くねくね曲がる坂を上り、近づいてみると『下岩倉集会所』という看板が出ていた。
「お、また庚申塔だ」
 集会所の駐車場の隅に、先ほどのものと似た形の石碑があった。ものはさらに古そうだ。青面金剛の顔だけでなく、手の一部や下の猿もかなり石が欠けてしまっている。
「こっちも年号はないな。でも相当古そうだ」
 師匠はしゃがみ込んで、猿の像を手でなぞった。
「同じだ。やっぱり、見ざるが手をクロスして目を覆っている。時代が違っても作り方が一定なんだ」
 ぶつぶつとそう言いながら、首を傾げている。
 そのとき、集会所の引き戸がカラカラと開いた。
「あれ。どなた?」
 50過ぎくらいの割烹着の女性が、座布団を持って玄関からこちらを見ている。
 駐車場に車がなかったから、人がいないと思いこんでいた。驚いたが、いいタイミングだった。
「やまと屋に泊まってるO大学の学生です。庚申塔とかの研究をしてるんです。すみません、勝手にお邪魔しちゃって」
 師匠がにこやかに話しかけた。女性はドアの外で座布団を叩いて埃を落としてから、玄関のなかに放りこんだ。
「あらあら。それはそれは。こんなところまで」
 ふくよかな体格のその女性は、割烹着のすそで手を拭いて、外に出てきた。人あたりの良さそうな印象だった。師匠がわざわざ大学の名前を言ったのは、腐っても国立大学だから、それで少しでも警戒心を解いてもらえないか、という下心からだろう。
「いやあ、立派な庚申塔ですねぇ。いまはこんなに古くて歴史があるものが少なくて。この猿なんか、実に味があって良いですね」
 猿でもなんでも、褒め倒そうという腹か。僕もそれに乗って、「この邪鬼の踏まれっぷりも最高」などと言って師匠に睨まれた。
「いまでも庚申講をされたりするんですか?」
 さらっと師匠が訊く。
「私らの子どもの時分は、やってるところもあったみたいですけど。いまはもうどこもやってないですねぇ」
「やってない?」
「はあ。いまじゃ拝むくらいですわ。庚申様を」
 そう言って、女性はパンパンと両手を顔の前で打ち、祈る真似をした。
「拝むだけで済むなら、手間がかからなくていいですね。ところで、こちらではその庚申講とは別に、なにかみなさんで集まって夜を明かすお祭りがあると、伺ったんですが」
 師匠の言葉に女性の顔が少し強張った。しかし、それも一瞬で、すぐに笑って返事をした。
「ああ、大ごもりというんです。昔からの伝統で」
 やっぱり。まだ続いていた。僕は思わず小さくガッツポーズをした。
「もしかして、その準備を?」
 師匠は、女性の割烹着姿を上から下まで見て、訊ねた。
「あ、ええ。掃除くらいですけど」
「うわあ。興味があるなあ。いつあるんですか、それ」
 知らない振りをして、いつあるのか、なんて訊ねているが、割烹着を見ただけで、その準備か? と訊いている時点で、わかってるのがバレバレだった。しかし女性は気づかないようだ。
「……明後日です」
 答えようか迷ったような気配があった。
「いいなあ。そういうの興味があるんですよぉ。なあ?」
「ええもう。田舎の奇祭好きで、僕ら」
 ははは、と笑いながら返したが、また師匠には睨まれる。
「当日、見学とかってできないですかね」
 スリスリと蝿が手をするように、師匠が割烹着の女性にお願いをする。しかし、女性は困った顔で、「それはちょっと」と言った。
「すみませんね。内輪の集まりなもので」
「最初のほうだけでも」
「あの、ごめんくださいね。掃除が途中で」
 女性はパタパタと走って、集会所の建物のなかに入ってしまった。
「うわあ」
 僕は師匠を非難してみた。
「いろいろ訊くチャンスだったのに」
「おまえが奇祭なんて言うからだ。それにまだわかんないぞ」
 師匠は集会所のドアに手をかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください。しつこくすると、本格的に村から追い出されますよ」
 なんとか思いとどまらせた。
「しかし、でかい集会所だな。不釣合いなくらいに」
「2、30人くらい入るんですかね」
「もっとだろう。大ごもりのために、地域の住民がみんな入れるような集会所を構えているんだったりして」
「まさか」
 そう答えたものの、なんだかそんな気がしてくる。
「明後日か。28日だな。やっぱり法則どおりだ。時間はまだある。今日のところは引き上げるか」
「それにしても、やっぱりちょっと歓迎されない感じですね。里美さんが言ってたみたいに」
「大ごもりか。なんなんだろうな。庚申講がすたってきて、日付にこだわらず、代わりに年1回みんなで集まって夜更かしをする集まり、と考えればしっくりくるんだけど。なんであんなに部外者が近づくのを嫌がるのか……」
 師匠はブツブツと言いながら車に乗り込む。
「まだ6時まで少しありますけど」
「じゃあ神社に行ってみるか。岩倉神社に」
「そうですね」
 集会所を出て、来た道を引き返した。また橋を渡り、上岩倉に戻ると、地図を見ながら山側へ入り、その道をひたすら北へ北へ向かった。
 中川の支流らしい小さな川が、蛇行しながら道に並んでいる。川沿いに進むと、途中で民家がいくつかあったが、どれも雨戸まで閉まっていて、人が住んでいないような気配だった。
「すごい尖ってる山だな」
 前方に見える山は、師匠の感想のとおり天に向かって屹立していた。標高はそれほどなく、200メートルもないくらいだろう。木々が繁っている。頂上のあたりがはっきり見えるぶん、尖って見えるのだろう。
 その山の麓に、大きな鳥居があった。
 そばに車を停めるスペースがあったので、降りて歩く。鳥居の向こうは、神社の敷地だった。参道があって、その向こうに建物が見えている。
「これが岩倉神社ですね」
「200人の村にしては立派だな。道祖神やら庚申塔やら、信心深い土地柄なんだろうな」
 鳥居をくぐり、建物に近づいていくと、参道の横の繁みから山鳥が飛び出し、ケーンケーンと鳴きながら地面を駆けるように飛び去っていった。
「キジか」
 師匠は鳥が去った方を見て、「このあたりは野生のキジが多いんだな」と言った。「鳴き声は、キジのごとし、ってな」
 どこかで聞いたようなフレーズだった。あ、そうか。天狗伝説の村で、空から落ちてきた生き物を、そう呼んだ話だ。ここへ来る最中、その村が、ここから北西にある新城村だと聞いた。いま僕らがいる岩倉神社と、レイラインで結ばれている場所だ。
 僕は目に見えない透明な線が、空を横断して、はるか遠くへ伸びているのを想像した。
「社殿だ」
 大きく屋根が左右に張り出した建物が、敷地の奥にあった。建物の背後には、背の高い樹が繁っている。厳かな雰囲気だった。賽銭箱が据えられていたので、師匠と僕はそれぞれ小銭を投げ入れて手を合わせた。
 社殿の横には垣根が張り巡らされていて、右手側にたどっていくと、すぐそばに社務所があった。
「すみません」
 師匠が入り口から声をかけると、返事があった。しばらく待つと、なかから眼鏡をかけた男性が現れた。50歳くらいだろうか。袴姿で、皺の多い厳めしい表情をしている、
「はい」
 僕と師匠がなにものなのか、観察するような視線だった。
「私たち、O大学の学生で、庚申塔とか道祖神を見て回っているんです」
 今日何度目かの説明をした師匠に、男性は、「そうですか」と静かに返事をした。
「宮司の月本です」
「あ、どうも。こちらは岩倉神社という名前ですよね。かなり古い神社のようですが、いつごろからあるんでしょうか」
「安和(あんな)元年と伝えられていますが。もっとも、建物は何度か造りかえられているはずです」
「安和って、千年くらい前ですよね。平安時代だ。歴史があるんですね。岩倉というと、もしかしてこのあたりに大きな石があったんですか?」
「……いまはありません。昔は、といっても、それこそ当神社が開かれたころで、大昔の話ですが。磐座(いわくら)と言われる大きな石があったそうです。この天神山の麓に」
 宮司はそう言って、社殿の奥の山を指さした。師匠と僕も、そちらを見上げる。
「あの尖った山は天神山と言うんですね。やっぱり、巨石が岩倉神社や岩倉村の由来でしたか。でも、あった、と言うのはどういうことなんでしょう。どちらかに移したのですか?」
「いえ、それが不思議な話ですが、社伝によると、砕けたとされています」
「砕けた?」
「はい。千年ほど前に、天狗星がこの地に落ちたそうです。天狗星によって、磐座が砕かれ、天神山にも亀裂が入ったと伝えられています」
 宮司は表情を変えず、淡々と話している。よそ者に対する警戒心なのか、普段からこんな調子なのかはわからなかった。
「天狗星……」
 師匠とは僕は絶句した。レイラインで繋がっている、新城村と同じだ。隕石が落ちたという伝説が、ここにもあった。これは、偶然なのか?
「この岩倉神社は、そのあとにできた神社です。この地の神を慰め、天変地異の混乱から人心を救うためにできたのではないでしょうか」
「その、磐座があったという場所には行けますか?」
「いえ、申し訳ありませんが。今でも聖域ですので、立ち入りはできません」
「聖域、ですか。天神山には入れますか」
「いいえ。天神山も同じで、地元の者でも入れません」
「入会権(いりあいけん)ってやつですか」
 師匠は垣根の奥に広がる、山の裾野の木々を眺めながら口元をゆがめた。
「実は、私たちの恩師が以前、こちらの神社を訪ねたことがありまして。そのときに、宮司さんから、この岩倉村のある伝承について聞かされたそうです」
 師匠が、あっけらかんとした口調を改め、どこか挑むような声色で話し始めた。
 行った。攻め入った。僕はごくりと生唾を飲んだ。始まったからには、もう行くしかない。そんな気分だった。
「人は、すべて男児と女児の双子で生まれるという民間伝承です。片方は現世に、片方はあの世に生れ落ちる。その理が崩れ、現世に双子として生れ落ちたものは、どちらかが、あの世に生まれるはずだった、忌み子として扱われると」
 師匠は、宮司の顔を正面から見つめている。宮司は視線をそらさずに、「それを、だれから聞いたと?」と言った。
「30年ほど前に、この神社の宮司から聞いたそうです」
「それならば、私の父ですね」
「お父様はいま?」
「10年前に亡くなりました」
 ふう、とそこで息を吐いて、宮司は「どうぞ、上がってください」と社務所のなかへ僕らを案内した。
 畳敷きの部屋に通されて、僕らは向かい合って座った。宮司の背筋はピンと伸びていて、僕も思わず背筋を伸ばして正座をした。師匠は猫背で、挑発的に見上げている。
「勘違いされては困りますが、その伝承はもう昔の話です」
「では、双子を忌む慣習自体はあったんですね」
「ありましたが、いまでは私どもも、言い伝えを聞かされているだけです。男子と女子の双子が生まれたら、どちらかを里子に出していたと」
「里子、というのは村のなかでですか」
「……」
 宮司は目を閉じた。それを見て、師匠は畳みかける。
「村の外ですね。里子に出したのは。そうでなくては意味がない。古来より、人の住む『里(サト)』と、その外の世界には断絶があります。サトから一歩出れば、そこは異界です。地続きの異界。イザナギが行った黄泉の国は、黄泉比良坂で隔てられた、現世と地続きの異世界でした。だから、サトとその外の境には道祖神が置かれ、招かれざる禍(わざわい)を、悪霊を、塞ぐのです。この村の入り口にも、大きな道祖神がありました。サトとソトの概念を、村の人々が昔から意識していた証です。間違って現世に生まれたこどもは、あの世に返す必要がある。だから、里子に出すなら、村の外だ。サトという共同体のなかにいてはならない。そうですね」
「……古い話です。戦前には、そうしたこともあったと、聞いたことはあります」
「戦前って。だって、僕らが聞いたのは」
「ちょっと黙ってろ」
 依頼人のことを言いかけた僕を、師匠が瞬時に押しとどめた。
「古くは、間引きがあったのではないですか。あの世に返す、もっとも確実な方法ですから。近代化以後、それも難しくなって、やむをえず取った方法が、村の外への里子です。それも、養子縁組ではない方法がとられていた。この村には病院がないようですが、近隣に出身者がやっている医院があるのではないですか。そこで出産し、もし男女の双子が生まれれば、出生届は1人分しか出さず、里子に出す先の母親がもう1人を生んだとする出生証明を偽造する。そうまでして、養子縁組を避けるのはなぜか」
「なにをおっしゃってるんですか」という、制するような宮司の声に、被せるように師匠は続ける。
「たどられるのを防ぐためですよ。養子に出された子どもが、本当の父母やきょうだいを探してこの村にやってくることを、防いでいるんです。サトのソトというあの世、かくりよから、忌み子が戻ってくるのを止めるためです。禍の侵入を防ぐ道祖神のように。この村の入り口の道祖神は、双体道祖神でした。夫婦、もしくは兄・妹の兄妹を表す、男女の道祖神です。通常、双体道祖神は仲睦まじく体を寄せ合っています。しかしこの村のものは、体が離れています。この別離は実に象徴的じゃないですか。男女のきょうだいが、うつしよとかくりよに引き離されている、まさに象徴です」
「待ちなさい。まるで邪教のような物言いは見過ごせません。憶測でも、あなたの言葉は私たちへの侮辱ですよ」
 宮司の表情にあまり変化はないが、言葉は強烈だった。師匠も少し怯んだようだった。
「すみません。知り合いが、この村の出身かも知れないと相談を受けまして。恩師からそんな双子を忌む慣習のことを聞いていたもので、つい言葉が過ぎました」
「お知り合いとは?」
「羽根川里美さんという女性です。先年この村の出身だったお父様が亡くなられたのですが、その間際に、聞かされたそうです。この村から里子に出されたのだと」
 僕は、師匠とやりとりをする宮司の表情をじっと見ていた。怒っているような口調だが、やはり顔は変わらなかった。
「存じませんね。羽根川というと、昔、篠田のほうにそんな家がありましたが、外へ働きに行っていたのか、村ではお見かけした記憶がありません。当神社の氏子でもなかったと思います」
「里美さんはいま21歳ですが、お兄さんがいるのでは、ということでした。双子の」
「その里美さんという方は、ご養子ですか」
「いえ」
「では、思い込みでしょう。あなたがたの。そんな古い慣習に縛られて、いまでもそんな残酷な違法行為を行っているなど、無礼な憶測です」
 宮司の言葉には、これ以上の詰問は受け付けない壁を感じた。師匠も、どうしたものか、考えあぐねているようだった。
「あのー。この神社に祀られているのは、イザナギとアマテラスオオミカミだと聞いたんですけど、そうですか?」
 言葉の接ぎ穂に、そう訊いてみた。
「伊弉諾神(イザナギ)と、大日孁貴神(オオヒルメノムチノカミ)です。それがなにか」
 なんだか、言葉の端々にトゲを感じる。実に居心地が悪い。
師匠が口をはさんだ。
「大ごもり、という風習があるようですね。庚申講のように、一か所に集まって夜を明かす慣習で、毎年6月末にあるとか。今年は、あさっての28日にあると聞きました。祀るのは、この神社の祭神と同じ、イザナギとオオヒルメノムチだとか。会場の集会所には青面金剛の庚申塔がありましたが、大ごもりは、庚申講ではないんですね」
「……土地の人間はみな、この岩倉神社の氏子ですから。祀る神は自然とそうなったんでしょう。もとは庚申講だったのかも知れませんが、昔より人も減って、世話役の当番を回すのも難しくなってきましたから。庚申の日にこだわらず、年1回にして、田植えの終わった良い時期にやるようになったのではないでしょうか」
 宮司は人ごとのようにそう言った。僕の推測と同じだった。
昼間にも拘わらず薄暗い室内だった。窓が開け放たれていたが、風はあまり入ってこず、そのかわり扇風機が動いていた。
 沈黙を経て、師匠が言った。
「大ごもりの目的がはっきりしませんね。庚申講であれば、三尸の虫が身体から抜け出さないように寝ないで過ごす。庚申の日でなければ、寝ずに過ごす必要がない」
「古い習慣などそんなものでしょう。合理的な理由を求めるのは意味がない」
「庚申講をやめて年1回決まった時期に行うようになったのは、人が減り、世話役の当番を回すのが難しくなったからなのでしょう? 田植えの終わった時期にやることも含め、充分合理的な理由ですよ。寝ずに過ごすという部分が残ったことにも、きっと意味がある。大ごもりとは、いったいなんなのですか。もとが庚申講だと言うなら、本尊は、青面金剛のままでいいでしょう。この村には、とても歴史のある青面金剛の庚申塔がありましたよ。それが大ごもりになって、祀るのがイザナギとオオヒルメノムチになったというからには、そこにも絶対に理由がある。合理的な理由が。どちらも、きょうだいが、かくりよへ行った神です。双子のかたわれをサトのソトに。つまり、かくりよへ追放するこの村には、ふさわしい守り神ではないですか。うつしよの象徴として」
「研究者というのは、土地の人間の慣習に土足で踏み入っても、かまわないと思っているのですか」
 師匠の言葉を遮るように、厳しい言葉が飛んできた。
「O大学の学生とおっしゃいましたね。学生証を見せなさい」
 え。
 やばい。財布に入っているけど、出しても大丈夫なのだろうか。警察に通報されるとは思わないが、ちょっと嫌だ。しかも、やまと屋の宿帳に、偽名を書いてしまっている。いま本名の学生証を出して、やまと屋に確認をされたら、面倒なことにならないだろうか。
 頭のなかでそんなことがぐるぐる回る。すると、師匠が財布を取り出して、カードを宮司に渡した。
「浦井加奈子さん、ですか。たしかにO大学の学生ですね」
「考古学の寺島教授のゼミにいます。こいつはまだゼミ専攻前で、見習いです」
「あ、すみません、僕は学生証持ってきてないです」
 とっさにそう言ったが、それ以上追及されなかった。師匠の態度が堂々としていたからだろうか。考古学の寺島教授のゼミとは、師匠が出入りしている研究室の1つだ。完全なウソというわけでもない。それにしても、本名を名乗るとは。
「この岩倉の人々が昔から持っている、共同幻想があります。それを、あなたたちはほかの土地の人々には知られなくないと思っている。双子を忌むということを、恥じていることから生まれた禁忌の感情だと思いました。サトのソトへ子を捨てることを恥じているのだと。でも宮司さん。あなたとやりとりをしていて、思いました。双子を忌む理由のほうにこそ、大きな禁忌が含まれているような気がする。人はみな男女の双子で生じる、という共同幻想がなぜ生まれたのか。そこに鍵があるのでは。六部殺し(りくぶごろし)のように、共同体として持っている、原罪のような口をつぐむべき感情があるではないでしょうか」
 宮司は、顔色を変えなかった。しかし、立ち上がって、毅然とした言葉で告げた。
「お話しすることは、もうなにもない。お帰り下さい」
 さあ。そう言って、両手で追い立てるような仕草をする。
「この岩倉は、昔から双子が多く生まれる土地柄だったのですね。あなたたちは、そこに共同幻想を抱いた」
「立ち去りなさい!」
 大喝された。僕は思わず首をすくめる。師匠は、宮司を睨みつけるように見ていたが、やがて肩を落として、「わかりました」と言った。
 社務所の部屋の電気が消され、廊下の電気が消され、玄関の扉が背後で閉まった。慌ただしく追い立てられた僕らは、社務所の外で顔を見合わせる。
「手ごわいな。学生証見せろときたよ」
「よかったんですか。見せて。宿帳を確認されたら」
「大丈夫。こんなこともあろうかと、私は本名書いといたから」
「それ、逆に面倒なことになったら、偽名で逃げられないですよ」
「こんなことで警察沙汰なんかにはならないだろ。まして命までは取られないから、大丈夫だ」
 どうしてこんなに楽観的なのか。僕など、余計な心配をして胃が痛くなってきた。
 師匠は、腰に手をやって、神社の敷地を覆う垣根の奥の森を見つめている。その向こうには、天神山がそびえている。
「ちょっと、だめですよ」
「そうだな」
 師匠は視線をそらさずにそう答えた。
「まじでだめですよ。聖域だって言ってたでしょ。私有地か神社の土地かわかりませんけど、不法侵入ですよ」
 磐座がくだけたという天狗星の伝説に、挑みかねない雰囲気だったので、思わず必死でいいつのる。
「わかったわかった」
 そろそろ6時だから、宿に戻るか。と言って、師匠は参道を戻り始めた。
 車に乗ったところで、僕は疑問に思ったことを口にした、
「昔から双子が多く生まれる土地柄だった、って言ってましたけど。あれはどういう意味ですか」
「今回の依頼を聞いてから、双子について調べてみたんだよ。そしたら、ちょっと面白いことがわかってな」
 エンジンをかけながら師匠は続けた。
「双子には大きく2種類あって、一卵性双生児と二卵性双生児とがある」
「知ってますよ。一卵性のほうは同性で、遺伝的にもほぼそっくり。二卵性のほうは、男と女のペアもあるし、遺伝的に一卵性ほど似ていないんでしょ」
「いや、異性一卵性双生児ってのも稀にあるらしいぞ。それはともかく、面白いのは発生率なんだよ。双子の発生率は人種によって違って、黒人で50分の1くらい、白人で100分の1くらい。日本人だと150分の1くらいなんだと」
「日本人は低いんですね」
「一卵性双生児の発生率は、どの人種も一律でだいたい250分の1。約0.4%なんだってさ。ようするに、二卵性双生児の発生率が異なるんだな。遺伝的要因やら、食べ物なんかの環境的要因で、二卵性双生児が生まれやすい、生まれにくいってことが起こるんだ。さて、ここで算数の問題です。日本人の双子発生率が150分の1、そのうち一卵性双生児の発生率が250分の1だとすると、二卵性双生児の発生率は何分の1でしょうか?」
 う。急に数字を並べられても、暗算だと、とっさに答えがでない。チチチチチ……。と師匠が時計の音の真似をする。
「さあ、時間がないぞ。双子の誕生とかけて、双子の出生率と解く。その心は? チチチチチチ。はい残念。どちらも、あんざんが大事でしょう!」
 そんな妨害にもめげず、僕は答えを出した。
「375分の1」
「正解」
 すごいな僕。我ながら。
「その二卵性双生児のうち、男と女の発生率はだいたい同じです。では、二卵性の男女の双生児の発生率はいくつでしょう」
「それは簡単ですよ。2人目が1人目と同じ性別になる確率は2分の1です。だから、375かける2で、750分の1です」
「せいか~い」
 師匠はハンドルを離して拍手する。危ない。狭い田舎道なのに。
「一卵性双生児はほぼ100%同性だ。だから、日本人の男女の双子の発生率は、二卵性双生児の男女が生まれる確率と同じ、750分の1という計算になる。750人の妊婦からやっと1組生まれる計算だ。さて、この岩倉の人口は何人だった?」
「200人弱くらいでしたね」
「高齢化、過疎化が進んで、若者が少ない。生まれる子どもは、多くて年間1人2人だろう。小中学校の生徒が合わせて3,4人って言ってたしな。750分の1が発生するのに、いったい何十年かかるんだろうな。いや、何百年か」
 笑う師匠の言葉に、ゾクリとした。
 そうだ。男女の双子が生まれる確率を考えると、たしかにそうなる。この小さな過疎の地区で、男女の双子が生まれるのは、ほとんどありえないような確率だ。
「昭和30年の合併当時の人口は700人だったな。多めに見積もって、子どもが今の10倍、年間で仮に15人生まれていたとしても、50年に1回の確率だ。おかしいと思わないか。そんな、一生に一回お目にかかるか、かからないか、というできごとのために、『男女の双子は忌み子』だなんて伝承を後生大事に伝えてきたなんて」
「そうですね。禁忌にしては、起こらなすぎる」
「ああ。禁忌には、それを忌む教育的な理由がある。夜中に爪を切るな。夜中に口笛を吹くな。秋茄子は嫁に食わすな……。自分の健康を守り、地域に迷惑をかけない生き方をするためにだ。起こらないことを禁忌にするのは、意味がない。だから、考えたんだよ。この岩倉では、伝統的に双子が生まれやすいんじゃないかってな」
「でもそんなことあるんですか」
「言ったろ。二卵性双生児の発生率は、遺伝要因や環境要因で上下するんだ。昔、テレビの特番で、双子の村ってふれこみの村のロケを見たことがある。南米のどっかだったと思うけど、そこでは双子の発生率が10%だって言ってたよ。妊婦の10人に1人が双子を産むんだ。遺伝だよ。そういう遺伝子が脈々と伝わっている。地理的に隔絶していて、閉鎖的なメンタリティを持っている人々の住む場所では、外の世界と血が混ざりにくい。双子が生まれやすい血が、さらに濃くなることで、さらに双子が生まれやすくなる。そういうことが、起こりうるんじゃないかって、思うんだ」
「それが、さっき宮司さんに言ってた、共同幻想ってやつと関わりがあるんでしょうか」
「さあなあ。なんかもう今日は疲れたよ。超怒られたし。とっと宿に帰って飯食って寝よう」
 あくびをしながら、師匠は言った。
 もう少しで午後6時だった。6月の末というこの時期は、夕方の6時くらいでは、まだ日は落ちない。なのに、いま車の窓から見える景色は、どこか薄暗かった。
 四方を山に囲まれているからだ。平地だと、太陽が沈むのは水平線に近い角度だ。けれどこの山間の村では、沈む太陽が山の端にかかると、そこが日暮れになる。車が走っている道は、まだ太陽を見ることができるのでそれほどでもないが、東のほうの山の麓は、どこも森の緑が暗く沈んで見える。
「時間の流れが、違うんですね」
 ぼそりとつぶやいた。師匠が、「あ?」と訊き返してきたので、「いや、別に」と答えた。
 この山深い土地は、僕らが暮らしている市街地とは、異なる時間の流れのなかにあった。何百年も、何千年も、この早い日暮れの世界がここにあったはずだ。そう思うと、なんだか感傷的な気分になった。
 そこで暮らす人々のことを考えた。きっと僕らとは、どこか違う考え方を持っているだろう。その思いを、少しでも理解したい。その向こうに、師匠が言っていた、『共同幻想』の答えがあるような気がした。
師匠の運転する車のうしろから、山の影が夜をともなって迫りつつあった。

 また東西に延びる中川沿いの道に出た。村の入り口に近い西のほうにある、やまと屋へ向かってゆっくりと車を走らせる。
 左手の小学校を過ぎたところで、右手のほう、つまり山手側の道路沿いに、人がたむろしているのが見えた。2階建ての大きな建物があり、そこから出てきた人たちのようだった。
『岩倉森林組合』という看板が出ていた。女将が言っていた、元村役場だった建物だろう。
「いるじゃん、若者」
 師匠が車を道ぶちに寄せて停める。作業着姿の数人がこちらを見た。みんな男だった。建物の入り口の横に自動販売機があって、その周りに集まっているのだ。
「こんにちは」
 師匠と僕が声をかけると、彼らはじろじろとこちらを見てきた。
「なんだあんたら。見たことないな。観光客? だれかの親戚?」
 太った金髪の男が、初対面とは思えない横柄な態度で言った。手には缶コーヒーを持っている。
「こんなところに観光客がくるかよ」
 痩せた男が笑った。しゃがみこんでタバコを吸っている。この2人が年嵩のようだ。30歳手前くらいだろうか。
「いやあ。実は石碑の研究してるんですよ。庚申塔とか、道祖神とか」
「なんだそれ。そんなん見て面白いのかよ」
「みなさん地元の人ですか?」
「違うよ。俺はこれからかえーるー」
 痩せた男が運転をする真似をした。
「地元だけど俺もでーてーくー」
 金髪の男も真似をして笑っている。下品な笑いだった。なにが面白いのかわからない。実に感じが悪い。こいつらに話しかけたのはまずかったのでは。僕はそう思い始めていた。
「ああ、今日は金曜日でしたね。花金だ。お仕事が終わって、これから街に繰り出すんですか」
「オネエちゃんも一緒にくる?」
「いいねえ。行こうぜ」
 金髪のデブとガリが、言い寄ってきた。やっぱりだめだ、こいつら。まずかった。2人よりも若い他の同僚は、それをたしなめるでもなく、愛想笑いを浮かべている。
「いやあ、実は今日、全然若い人見てなくて。ここって林業が盛んだって聞きましたけど、やっぱり若い人はこの森林組合で働くんですか。私21歳なんですけど、同い年の人っていたりします?」
 今年で25歳になる師匠がサバを読みながら、なんとか重要な情報を聞き出そうとしている。依頼人の羽根川里美の生き別れの兄は、21歳のはずなのだ。
 しかし、彼らはふざけて答えようとしない。
「はい! ボク21歳」
「ボクも!」
 デブとガリがおどけて手を挙げる。彼らは明らかにずっと年上だ。
「なあ、行こうぜって」
 デブが師匠に近づいた。僕は思わず、そこに割って入る。
「なんだよ」
 デブが睨みつけてくる。ガンを飛ばすってやつだ。そういうのは、高校生で卒業しろよ!
 そこに、まあまあ、と師匠がさらに割って入る。
「なんか、明後日に大ごもりってのがあるって聞いたんですよ。寝ずのパーティみたいなやつだって。面白いんですか」
「はあ? 面白いわけねえだろ。あんな辛気くせえの」
「辛気くさい?」
「あんなのジジババの社交場だっつの。俺らみたい若者が行くわけないだろ」
 おまえらも行かねえだろ?
 同意を求めるデブに、同僚たちがおずおずと頷いた。
「くっだらねえから、今夜から出てくんだよ。おい。月曜の朝遅刻したら、頼むぞ」
「ボクも月曜帰りッスから。こっちこそ遅刻したらすんません」
 耳にピアスをした若者が返事をした。
 師匠がそのやりとりを見て、ハッとした表情を浮かべた。
「大ごもりは明後日、28日の日曜日の夜からですよね。参加したくないなら、それでいいと思うんですけど。どうしてわざわざその間地元から出て行くんですか」
「別にいいだろ。なにもねぇ村なんだ。出ていくしかねえだろうが」
 そう毒づいたデブだったが、その表情になにか奇妙な感情が浮かんだのを、僕は見逃さなかった。師匠も気づいたようだ。周囲を見ると、ほかの同僚たちの顔も強張って見える。
「いいから来いよネエちゃん。一緒によ」
 恐怖だ。これは、恐怖を隠している。
 強引に手を握ろうとしたデブに、師匠がそれを握り返して関節を極める。
「痛ッて。なにすんだよ」
「あっと、ごめんなさい。つい」
 すぐに離して飛びずさる。ガリが立ち上がった。まずい。
「この人、生き別れの双子のお兄さんを探してるんです!」
 僕はとっさに師匠を指さして、声を張り上げた。
「お願いします。この村にいるはずなんです。どんなことでもいいんで、教えてください」
「は、はあ? なんだよそれ」
 デブが手をさすりながら、悪態をつく。その声は、どこかうわずって聞こえた。
「21歳くらいの人なんです。知りませんか」
 ほかの同僚たちにも振ったが、彼らは一様に強張った顔のまま首を横に振った。
「おい。行こうぜ」
 デブがガリにアゴをしゃくって見せる。ほかの連中も、空き缶をダストボックスに投げ捨てながら、ゾロゾロと僕らの横を通り過ぎていった。裏手に駐車場があるようだ。そちらの方へ回り込んでいく。
「ちょっと待ってください」
 そう言って追いかけようとした僕を、師匠が止めた。
「失敗したな。これは見つけられないぞ」
「どうしてですか」
「あいつら、怖がってる」
 駐車場から次々と車が出てきて、僕と師匠に一瞥をくれながら去っていった。ほとんどが西のほうへ向かっていた。この岩倉村の出口のほうだ。
「ちょっとわかってきたぞ」
 師匠は左目の下を指で掻きながら、そう言った。
「まあ、とにかく腹減った。飯食いに帰ろう」
 パンパンと僕の肩を叩いた。僕はなんだかよくわからないまま頷いた。
 やまと屋に帰り着くと、ちょうど6時だった。
 女将が出てきて、一階の居間のようなところに僕らを案内した。
 丸い卓袱台が置いてあって、そこに料理が並んでいた。
「あんまり上等なものは用意できないですけど、ゆっくり食べていってください」
 山菜のたっぷり入った炊き込みご飯に、数種類のキノコの入ったお吸い物。それにチキンカツとキャベツの皿が添えられている。
「うまいうまい」
 師匠がガツガツとかき込む。温泉旅館の料理のような凝ったものではないが、地元の食卓を思わせる、素朴な味わいの夕飯だった。おそらく今夜の女将の家の晩御飯も同じメニューなのだろう。
「どちらに行かれてましたか」
「神社に行ってきましたよ。岩倉神社。宮司さんはいい方ですね」
 皮肉をこめた師匠の言葉に、女将はニコニコと同意した。
「あ、そうだ。今夜と明日の2泊をお願いしてましたけど、もう1泊延長できますか? まだわかりませんけど、お願いするかも知れません」
 師匠の提案に、女将が「えっ」と困った顔をする。
「それが、28日はちょっと、都合が……」
「なにかあるんですか」
「はあ。お祭りの日でして。その日はやってないんですよ」
「お祭りというと、大ごもり、ですか」
 師匠が茶碗を置きながら尋ねた。
「そうなんです。宮司さんからお聞きになりましたか。毎年大ごもりの日は、みんな集会所に集まって夜を明かす決まりになっているんですよ」
「そうなんですか。残念だなあ。私たちも参加することはできないでしょうかね」
「それはちょっと、どうでしょうか。よその方は参加されてるのを見たことがないですねえ」
「女将さんも参加されてるんですか」
「ええ」
「元は、よそからお嫁にいらっしゃったんでしょう? 別にこの村の生まれでなくてもかまわないってことじゃないですか」
「でも、私からはなんとも」
 そんな問答をしていると、外からジャリジャリという音がした。やまと屋の敷地に車が入ってくる音だった。
「あ、主人です。いま畑をやってまして」
 やまと屋の奥に、女将の住む滝野家の家があった。女将の夫は、その家に向かう前に僕らのところへ顔を出した。
「いらっしゃい」
 農作業で服が汚れている。それを気にしてか、玄関の方から顔だけを出して挨拶をした。
「どうも。お世話になっています」
 滝野氏は無骨そうな人で、無愛想に頭を下げると、そのまま去ろうとした。
「あの。大ごもりに私たちも参加させてもらいたんですけど、なんとかお願いできませんか」
 それを聞いた滝野氏の問いかける表情に、女将が「民俗学だかの学生さんだそうですよ」と言った。
「……申し訳ないが、内輪のお祭りでして。ご遠慮ください」
 滝野氏はきっぱりとそう答えた。
「一晩中じゃなくてもいいんです。最初だけでも。世話役の方に訊いてみてもらえませんか」
 師匠が粘ったが、滝野氏は首を振った。
「私も今年は役員の一人です。申し訳ないが、お断りします」
 滝野氏は低い声でそう言って、去って行った。
 残された女将はきまりが悪そうに、「おかわりもありますよ」と炊き込みご飯を勧めてきた。
「あ、僕もらいます」
 よそってもらう僕とは対照的に、師匠は黙り込んでしまった。それを見かねてか、女将が明るい声を出した。
「でも、大ごもりなんて大層な名前がついてますけど、たいしたお祭りじゃないですよ。最初に宮司さんがお祈りをして、あとはみんな、持ち込んだお料理を食べて、飲んでするだけですから」
「それだけですか?」
 僕が訊くと、女将は頷いた。
「それだけです。寝ないで一晩中おしゃべりして、朝になったら解散するんです」
 庚申講と同じだ。本当にそれだけなのか。
 女将はウソをついているようには見えなかった。それならば、なぜこんなに頑なに、よそものを排除するんだろう。
「女将。森林組合に、若い人が結構いましたね」
「ええ、はい。ここでは、若い人の仕事は山仕事くらいしかないですからねえ」
「私、今年で21歳なんですけど、同い年の人もいるんでしょうか」
「あら、21歳ですか。しっかりされているのね。同い年ねえ。だれかいたかしら。……森林組合だったら、ミノルくんがそのくらいじゃないかしらね。月本実(みのる)くん。宮司さんの息子さんですよ。あと、森林組合じゃないけど、藤崎さんの息子さんが去年成人式だって言ってたから、もう21歳じゃないかねえ」
「藤崎、というと、篠田地区の?」
「篠田? あの辺は家がないですよ。もともとあそこにいたのかって、さあ、私にはわかりませんねえ」
 女将は、藤崎さんの家を教えてくれた。少し北の山側に入るが、やまと屋からわりと近い場所にあった。
「ごちそうさまでした」
 食事が終わり、僕らは手を合わせた。
「お風呂、これから沸かしますね。狭いですけど、家族風呂なので一緒に入れますよ」
「いや、こいつはただの後輩ですから。順番で」
 きっぱりと師匠は言う。
「エロいので、覗かないように監視してください」
「そうでしたね。ああ、そうそう。いいものがありますよ」
 女将はそう言って、棒切れのようなものを持ってきた。農具の柄のようだ。
「寝るときはこれを」
「ありがとうございます」
 師匠はその棒を受け取って、僕をさげすんだ目で見た。バカな。夜這い対策の警棒なのか。まさかあんな棒で僕を?
 楽しい、お・と・ま・り、はどこに行ったんだ?
 打ちひしがれながら、僕らは部屋に引きあげた。
 なんだか疲れて、風呂が沸くまで部屋の畳のうえで寝転がっていた。
「先に入れ」
 風呂が沸いたところで、師匠がそう言うので、お言葉に甘えた。妥当な順番だろう。民家の普通の風呂より、ほんの少し大きい、という程度の風呂だった。ほのかに柑橘系の香りがした。お湯になにか入っているらしい。汗をかいていたので、さわやかな香りは、気持ちがよかった。
 僕に続いて師匠も風呂から上がり、用意されていた浴衣に着替えて出てくる。
「ごゆっくり」
 と言って、女将が棒を持つようなジェスチャーをして、僕らを見送った。
「さて、作戦会議といくかね」
 布団の敷かれた師匠の部屋で、畳のうえに向かい合って座った。
「なかなか、きびしいですね」
「ああ」
 最初の感想がそれだった。今回の依頼は、羽根川里美さんの双子の兄を探すことだった。しかし、戸籍上の証拠がないうえ、真実を知っている父親が他界。その身内ももういないという。年齢を頼りに探すことはできるが、どうも双子だということは、想像以上にこの村の人々にとって、タブーのようだった。
「あの森林組合のオールドヤンキーたちは、双子と聞いてビビったな。忌み子だからだ。あの世に生まれるはずが、間違って現に生まれた、忌まわしい子ども。生まれてすぐに外へ捨てて、戻ってこないように、戸籍をいじり、口をつぐむ。さらに道祖神で封印する念の入れようだ。大ごもりを辛気臭いって言って、参加しないヤンキーどもでさえ、戻ってきた忌み子が怖いんだ。小さいころからうみ付けられた、共同幻想だぜ、これは」
 師匠はどこか楽しそうにそう言った。
「どうやって探しますか」
「まあ、とりあえず教えてもらった2人。宮司の息子と、藤崎さんちの息子をあたってみるしかないな」
「でも、本人に訊いてもわかりますかね」
 非合法な方法で戸籍を偽造するほどの念の入れようだ。双子の兄に、わざわざおまえは双子だったなんて、親は告げるだろうか。
「それなんだがな。やっぱり本人には教えないと思うんだよ。するとどうなるか。みんな疑心暗鬼になるんじゃないかな。自分が本当は双子の片割れで、生き別れた妹か弟がいるんじゃないか? 忌み子として捨てられたそいつらは、自分を恨んでいるんじゃないか? いつか帰ってきて、恨みを晴らそうとするんじゃないか? ってな」
「なんだか本末転倒ですね。マッチポンプって言うか、忌み子だって、捨てておいて、恨まれて、やっぱり忌み子だったって。ひどい話ですよ」
「ただ、現にみんな双子を恐れている。女将は村の外の出身だから、それほど頓着してないみたいだけど、ほかの人の協力は得られそうにないな」
「どうするんですか」
「とにかく考えたってしょうがない。当たって砕けろだ。案外、親から教えられてなくても、感づいてるかもよ。狭い村だ。自分の噂はどうしたって耳に入るだろうさ」
 師匠は、開け放った窓のふちに肘を置いて、もたれかかった。
「あの宮司の子どもが、答えてくれますかね」
「さあなあ」
「名誉棄損で訴えられたりしたらいやですね」
「ありえるな」
「勘弁してください」

 外から気持ちの良い風が吹いている。その風に乗って、カエルの鳴き声が聞こえてくる。
 コリコリコリ、コリコリコリ…………。
 そう聞こえる。アマガエルの声も地方によって違うと聞いたことがあるが、僕の知っている鳴き声とはどこか違っていた。
「それにしても、この岩倉村にも、天狗星の伝説があったなんて驚きましたね」
「ああ。この県北レイラインは種ありかも知れない」
「種ありって、なんですか」
「茨城の鹿島神宮から、宮崎の高千穂神社へと日本列島を縦断するレイラインはな、富士山レイラインなんて言われたりするけど、実は中央構造線とかなりの部分重なるんだよ」
「え。中央構造線って、あの地震の?」
「そう。日本最大・最長の断層帯だ。活断層も含み、多くの地震を生んでいる断層ライン。当然火山活動とも関わりがある。この中央構造線は、富士山のあたりを避けるような形になっているけど、それ以外は、富士山レイラインとかなり重なっているんだ。宮崎から四国、そして伊勢神宮のあたりを通って、ここから少し北に逸れて、諏訪へ、そして鹿島へと抜ける」
 師匠は、ノートに簡単な日本地図を書いて説明する。そこに黒い線と、赤い線を引いた。
「黒いのがレイライン。赤いのが中央構造線」
 なるほど。黒は直線になっている。赤いほうは、富士山のあたりを避けるように北まわりになっているが、それ以外は重なって見える。
「この一致は、あながち偶然でもないかも知れないんだ。この中央構造線の南側は、7千万年くらい前に、イザナギプレートというプレートに乗って、はるか南からやってきた土地なんだ。それが北側、つまり中国大陸側の土地とぶつかってくっついた。そのつなぎ目が中央構造線ってわけだ。くっついた、っていっても動物の傷口みたいにぴったり癒着するわけはない。その断層帯は、いまも地震や火山活動を生む動脈だ。地下に莫大なエネルギーを蓄えた、日本の動脈。龍脈ってやつだよ。明治神宮や伊勢神宮、皇居とかっていうパワースポットがそのライン上にあるのは、卑弥呼に代表される、シャーマンの国だったこの日本では、ある意味必然だ。古代の日本人はプレートテクトニクスなんぞ知らなくても、龍脈がどこにあるのか知っていたんだ。それが霊力であれ、経験則であれ、だ。だから古来より、龍脈の上には、その活動を封じるための祭祀の場が必要だったんだ」
「それがレイラインの正体ってわけですか。お、オカルトですねぇ」
 僕の好物の話だ。真偽はともかくとして。師匠も楽しそうに語っている。
「意味のないはずの直線に、隠された意味があった。この県北の地域を南東から北西へ貫く、レイライン。天狗神社、戻り沼、岩倉神社と結ぶこのレイラインにも、意味があるのかも知れない」
「その種ありの、種って?」
「実はな。死んだ人が生き返るという戻り沼には、昔、天狗が宝物の珠を落として、その珠が沼の底に眠っている、という伝説があるんだ。その珠の力で、死人が還るんだと」
「天狗……」
 また天狗だ。僕は背筋にゾクゾクしたものが走った。
「落ちた天狗を捕らえたという、新城村の天狗神社。天狗が珠を落としたという、廿日美村の戻り沼。そして、天狗星が磐座を砕いたという岩倉神社。これは偶然か?」
 師匠はニヤリとして問いかけた。
「同じ現象なんですね、すべての原因は」
「千年前、空を赤く切り裂いて、天狗星がやってきた」
 師匠が立ち上がって、天井に向かって両手を広げた。
「高度を下げながら、県北を南東から北西へと飛行し、そこで落ちた。途中で割れた天狗星は、その軌道上の大地にも傷跡を残した」
「北西から南東に向かって落ちてきたのではなくて?」
「ああ。新城村の北には小さな隕石湖がある。その底は、北西が深く抉れた形状になっている。そこが終着地点だよ。北西に向かって飛来してきたんだ。その手前にバラバラといろんなものを落としている。この天狗星は」
「それが、県北レイラインの正体」
「ああ。そしてこのレイラインには、直線になっていること以外に、共通点がある。天狗神社には、食べると不老不死の力を得る、という天狗の肉の伝説が伝わっていた。戻り沼には、死者がよみがえる、という伝説が。そして、信仰していた巨石を天狗星に砕かれた岩倉地方では、あの世に生れ落ちるはずの忌み子が、双子としてこの世に生を受けて現われる。本来の750分の1という確率をはるかに超えて」
 立ったまま、オペラでも歌うように語る師匠の言葉に、背筋のゾクゾクが強くなる。恐ろしいような、心地良いような、不気味な感覚だった。
「この天狗星に関わる伝説は、どれも『生と死』に深く関わっている。それも、『死ぬべきもの』が、そうならないという、忌まわしい伝説だ。こいつは、いったいどういうことなのか。落ちたのははたして、本当にただの天狗星……隕石だったのか?」
 師匠はイタズラっぽく流し目をつくって、僕を見た。
「とまあ、オカルト好きにはたまらない謎があるわけだが、私たちの仕事は、依頼人の双子の兄を探すこと。あんまり余計な仕事は増やさないようにしないとな」
 そう言って、師匠は肩の力を抜いたように両手をぶらぶらとさせ、窓辺に近づいた。
「カエルさんが元気に鳴いてるぞ。明日も晴れそうだな。しっかし、真っ暗だな外は。街灯がイッコもないんじゃないか」
「深山幽谷みたいなところですからね」
「あれ? おい。あれ見てみろ」
 急に師匠が、窓の外を指差した。見てみると、道の向こうの川のあたりに、いくつも光が瞬いている、
「ホタル、ですか」
「人魂かもよ」
 師匠は「行ってみよう」と言って部屋を出た。ついていくと、1階で片付けをしていた女将に会った。
「川に光? ああ、ホタルですよ。お町の人には珍しいでしょう。あたしらは見慣れてるから、なんとも思わないですけど」
「やっぱりホタルだ」
「とにかく近くに行こう」
 僕と師匠は、やまと屋の外に出た。道路を渡って、その向こうの川に下りる。暗いから手探りだ。
「うわー。すごいな」
「綺麗ですね」
 僕らの周りに、無数の黄色い光が舞っている。闇のなかに瞬きながら浮かぶ、その淡い光はどこか儚げで、僕は郷愁のようなものを胸のなかに感じた。僕のふるさとにはない光景だったのに。
ああ、これがアタイズムというやつか。
大学の講義で、教授が言っていたことを思い出した。個人の記憶ではなく、民族として持っている共通の遺伝的記憶。見たことのないはずの景色を懐かしく思う感情。これを、間歇遺伝(かんけついでん)、アタイズムと言うのだと。
「水が澄んでいるんだな、ここは」
 師匠がしゃがんで、川の水を掬った。川の流れは穏やかだ。水の流れる静かな音が、夜の闇のなかに一定のリズムを刻んでいる。
僕には、この清流とホタルを懐かしく感じる、遺伝的記憶があるのだろう。かつての日本では、どこでも見ることができたこの景色の記憶が。しばらくその懐かしさのなかに身を浸し、師匠とふたりで、光の舞を眺めていた。
宿に戻ると、女将が「どうでしたか」と訊いてきた。
「よかったです。あれほどのホタルの群は、なかなか見られないですよね」
「これでも、昔よりは数が減ったらしいですけどねぇ」
「これ、ホタルの里とか銘打って、もっと観光のPRをしたらいいのに」
 師匠の提案に、女将は首を振った。
「知る人ぞ知る、っていうのがいいんじゃないでしょうかね。地元を離れた方とか、いまでもこのくらいの季節に、うちに泊まっていかれますよ。みなさんホタルを見て喜んで帰られます。うちももう半分以上道楽でやってるような宿ですけんど、そういうお客さんがいる限り、開けておこうということでやらしてもらってます」
 僕は2、3週間に1人しか客のいない宿帳を思い出した。
「もっと人を呼び込んだほうがいいですよ。環境保全だって、やりようはあるんじゃないですか」
「この時期は、やっぱりちょっとね……」
 女将はそう言って困った顔をした。師匠はそれを見て、なにか気がついたような表情をした。
「ホタルの季節は、6月から7月にかけてが最盛期でしょう。この岩倉の、1年に一度の大ごもりの時期と被る。それを、避けているんじゃないですか。その大ごもりの時期に、外から人がたくさんやってくるのを。だから、観光PRもできない」
「私は、わかりません」
 女将は頭を下げ、「もう家のほうに戻りますから、すみませんが、ここ、戸締りさせてもらいますんで」と言った。
 女将の態度は、それを肯定しているように思えた。
「わかりました」
 やまと屋の玄関が施錠され、僕らは2階の部屋に引っ込んだ。師匠の部屋に入ろうとすると、「もう寝よう。疲れた」と言って追い出された。
「はあ」
 僕は仕方なく自分の部屋に入って、布団のうえに寝転がる。今日一日で色々なことがあった。頭のなかで整理ができていない。そのひとつひとつを思い出しながら、天井を見ていた。
 明日、双子のお兄さんを当たってみるとして、本人が認めなかったり、知らなかったりしたら、どうすればいいんだろう。最終的には、DNA鑑定ってやつをしないといけないんじゃないだろうか。めんどうだな。まあ、師匠がなにか考えるか……。
 そんなことをぼんやり考えながら、うとうとしていると、いつの間にか寝てしまっていたらしい。夢うつつのなかで、ふいになにか聞こえた気がして、僕は目を開けた。
 なんだろう。外から?
 耳を澄ましても、もうなにも聞こえなかった。『夜中、かごめかごめの歌が聞こえる』という里美さんの話を思い出して、怖くなってしまった。
 起き上がり、そっと自分の部屋を出て、隣の師匠の部屋の引き戸に手をかける。
「師匠、起きてますか」
 そう言って開けようとした戸が、ビクリとも動かなかった。
「あれ?」
 力を入れてみるが、ガタガタと揺れるだけで開く気配がなかった。おかしいな。内鍵なんてなかったはずなのに。
 なにかがつっかえているような感じだった。そこではたと思い至った。
 あの棒か。師匠が女将に渡された棒。あれがつっかえ棒になっているのだ。そういうことだったのか。バカな。これではまるで、僕が夜這いをしようとして追い返される男のようではないか。
「師匠」
 戸に耳をつけてみると、かすかなイビキが聞こえてきた。かわいい。
 僕は肩を落とし、しかたなく自分の部屋に戻って布団を被った。聞いてない。妙な音なんて、なにも聞いてない。そう自分に言い聞かせながら。

出典:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8540080

次の話・・・

【師匠シリーズ】033 双子 3/4:https://fubuki-sosial.com/twins-3-4/

【師匠シリーズまとめ】記事一覧:https://fubuki-sosial.com/list-of-articles/

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