彼女の家には、古くから受け継がれる箱がある。
サイズは30×30×30というから、それなりに大きい。
見た目は船箪笥のようなもので、上面に持ち手がある。
投稿者「よしきり ◆4lTInXds」 2021/10/25
知人から聞いた話。
彼女の家には、古くから受け継がれる箱がある。
サイズは30×30×30というから、それなりに大きい。
見た目は船箪笥のようなもので、上面に持ち手がある。
前面に取っ手と錠前がついており、開け閉めができる構造になっている。
ただし、錠についた鍵穴はなんらかの金属で埋められていて使えない。
一応、鍵も一緒に伝わってはいるが、こちらはひどい錆でやはり使えない。
施錠された状態で受け継がれているため、中身はその有無も含めて不明。
いわゆる開かずの箱だった。
知人の家は女系で、箱は母から子へ受け継がれてきた。
それは、この箱を受け継いだものが当主となるという意味でもある。
知人がこの箱の存在を知ったのは高校生の時だったが、その時すでに、箱を受け継ぐのは彼女であると決まっていた。
彼女には兄と弟がいたが、姉妹はいなかったからだ。
「当主の証、なんて言うから緊張したよ。でも、別に特別になにかすることなんてない、たまにホコリ払うだけでいいって言われて安心したんだよね」
知人は当時のことをそう語った。
それから数年後のことだ。
都内の大学に進学していた知人は、就職先を地元で探すか、首都圏で探すかで悩んでいた。
家族に相談したところ、両親は地元での就職を希望したが、兄は首都圏での就活を勧めた。
地元は田舎で、仕事が少ない。
土地柄、肉体労働の割合が高く、女性が正社員で働ける場所は競争率が高い。
それに田舎はセクハラが未だに横行している。
だから働くなら都市部のほうがいい。
両親のことは、兄である自分が世話するから気にするな。
兄は、そう言ったそうだ。
知人はその言葉に背中を押され、都内で就活を始めた。
当時は就職難の時代で、なかなか内定は得られなかった。
四年生になり、いよいよ焦りだしたころ、訃報が届いた。
兄が死んだ。心不全だった。
葬儀の後、高校生だった弟からこんな話をされた。
兄は、自分こそが家を継ぐべきだと両親に主張していた。
長男なのだから、と。
両親は相手にしていなかったようだ。
女系というものについて、よく調べなさい、と母が兄を叱っていた、と弟は言った。
「兄貴、箱を盗んだんだよ」
倒れた兄を見つけたのは、弟だった。
夕食の時間になっても顔を見せない兄を、部屋まで呼びに行った。
半開きのドアから中を見ると、兄が倒れていた。
その傍らには箱が落ちていた。
弟が目を向けたのと、箱がぱたんと閉まるのが、ほぼ同時だったという。
弟は、すぐに両親を呼んだ。
やってきた父が救急車を呼ぶ間、母は部屋に入ると真っ先に箱のもとへ向かい、慎重に拾い上げた。そして開かないかどうかを確かめた。
箱は、開かなかった。
取っ手を引いても、カチャカチャと鳴るだけだった。
母はそれを確かめると、ほっとしたように息を吐いたという。
「兄貴より先に、箱の心配をしたんだ。変だよな。
──それに、あの箱、開かないって話だったのに。
俺が部屋に行った時は開いてたんだ。
それが、ひとりでに閉まった」
絶対、変だよ。
箱も、母さんも。
弟は何度もそう繰り返した。
「兄貴の顔、凄かったんだ。
化け物でも見たような顔で。
──俺、怖いよ。なんなの、あの箱」
あれは自分が受け継ぐと決まっているものだから、お前は心配しなくていい。
自分が受け継いだら、すぐに処分する。
それまでは、できるだけ近寄らないように気を付ければいい。
知人は半泣きの弟に、そう言い聞かせた。
その後、知人は結局地元へ戻り、そこで就職した。
確かに仕事は少なかったが、女性が特別不利ということはなく、またセクハラ被害にあうことなかった。
「たまたま、運が良かっただけかもしれないけどね。
でも、少し疑っちゃうよね。
兄さんが私を疎んで、嘘を言ったのかなって」
実際のところ、どうだったのかはわからない。
もはや、確かめようのないことだ。
弟は大学進学を機に家を出て、そのままそちらで就職した。
帰省はめったにしないが、それなりに連絡は取っているという。
「箱は、受け継いだんですか」
「まだ。今は、母が健在だから」
「もしよかったら、一度見せてください。外見だけでいいので」
「いいよ。処分する前に、連絡するね」
最後に、そんな話をして別れた。
この数年後、一通のメールを送ってきたきり、彼女とは音信不通になった。
最後のメールは、箱を受け継ぐことになったと知らせるものだった。